2010年2月 のアーカイブ

アメリカズカップ・スペシャル・レポート5

2010年2月11日 木曜日

2月10日 バレンシア

今日で2月も中旬に入った。

2月1日は、まだ伝統航海カヌーのホクレアに乗ってハワイ沖を航海していたが、なんだかそれが、ずいぶん昔のことだったように思える。

今日は、防衛者、アリンギのドックアウト(出艇)風景を見に行く予定。

昨日の夕方、レースコミッティーは、

「本日、午前11時54分以前に予告信号が発せられることはない」と発表した。

少なくとも午前中は風が強過ぎて、レースができない公算が高く、レース艇が無駄に海上で過ごす時間を増やさないため、との理由だ。ウイングマストを立てている〈USA〉にとっては、とくにありがたいコミッティー判断だろう。

風が予報よりも長く続いて、午後も強く吹き続けるようなら、本日のレースが再び延期されることも有り得ることになる。

〈アリンギ5〉は、昨日のレイデイを利用して、長くテストしてきた直線の保守的なストレートな形状のダガーボードを外し、進水当初に装備していたS字型のものに変えた。

S字型のダガーボードは、風下側の船体を揚力で上方向に持ち上げてよりパワフルなセーリングを可能にする。その替わり、微風のクローズホールドでのリーウエイは、直線のダガーボードに比べると増える。微風のクルーズホールドでの性能よりも、より強い風でのリーチング性能を求める、ということなのだろうか?

つまり、今日、2月10日のレースが強風になる(天気予報では、そのように言われている)と確信したのだろうか? おそらく、自分たちが一方的に設定したレース・コンディション(海面上60メートルの高さでの風速が15ノット未満、波高1メートル未満)では、直線のダガーボードのほうが優れているのだろう。しかし、それ以上の風速、波高のコンディションでレースをやらなければならないとすれば、S字型ダガーボードのほうがいいかも、ということなのだろうか?

朝の出艇時に、このことについて話をしてくれそうなアリンギの誰か(トム・シュネッケンバーグか、グラント・シマーかな?)に会ったら、まわりの空気を読んだ上で、素早く聞いてみよう。

〈アリンギ5〉がS字型ダガーボードをテストしていたのは、進水後比較的短期間で、それ以降はずっと直線形のダガーボードでセーリング・テストを続けていた。S字型ダガーボードの機能(ダガーボードの上げ下げのシステムは複雑で、しかもセーリング中ここには非常に高いロードが掛かる)の信頼性や、セーリングデータは充分にあるのだろうか?

〈アリンギ5〉のサイズのヨットにとってダガーボードの取替えは、大型クレーンを使っての大仕事になり、出艇直前の短い時間でできることではない。

「レースでテストをするな!」という教えは、オプティミスト・ディンギーでレースをする少年少女たちでも知っている、ヨットレースにおけるゴールデン・ルールだと思っていたのだが……

では、続報は海から上がってきてから…(つづく。レポート/西村一広 http://www.compass-course.com

アメリカズカップ・スペシャル・レポート4

2010年2月10日 水曜日

本日はレイデイ。

バレンシアは昨日と打って変わって、青空が広がり、オフショアの風(西風)が強く吹いている。

その風が強すぎて、挑戦者も防衛者も、海に出ていない。インフレータブルボートを仕立てて2隻のセーリングを見に行こうという画策は空振りに終わる。

ここで、レースコースについての説明の修正を少々。

2月7日の第2信で、第1レース、第2レースとも、マークの回航方向は反時計回り、と説明したが、間違っていました。

正解は、各レースのマークの回航サイドは、予告信号掲揚の前に、コミッティーボートからフラッグによって示される。大変失礼いたしました。

また、昨日、レース延期が決定した後に2隻が走り比べをして、バーチャル・アイを見ていると〈USA〉のほうが2ノット近く速かった、と書きましたが、あのとき防衛艇の〈アリンギ5〉はジブをあげてなかったとのこと。考えてみれば、そうでなければ、あんなにスピード差は出ないですよね。大変失礼しました。

ということで、本日はこれでおしまいです。(レポート/西村一広) http://www.compass-course.com

アメリカズカップ・スペシャル・レポート3

2010年2月9日 火曜日

商業港にあるBMWオラクルレーシングの仮設キャンプで、第33回アメリカズ・カップ挑戦艇〈USA〉のドックアウトを見る。(レポート/西村一広、http://www.compass-course.com

2月8日朝6時。第1レースに向け出艇準備中の挑戦艇〈USA〉(photo by Kazu Nishimura)

 スペイン時間午前6時 

重量を少しでも軽くするために、申し訳ないがレースでは降りて欲しい、とスキッパーに言われてしまったチーム・オーナーのラリー・エリソンだが、元気よくクルー全員をハイタッチで激励して、沖に向かうクルーたちを見送る。

そう、ウイングマストを立てた〈USA〉は、常に風に立てておかなければならないため桟橋には係船できず、桟橋のすぐ沖にアンカリング中。

 それにしても〈USA〉のウイングマストの威容には、度肝を抜かれる。ヨットも、ついにここまで来たか、と思う。 

今日の第33回アメリカスカップ第1レースの予告信号は、午前10時予定。風速15ノット以下、波高1メートル以下でなければレースを行なわないという、防衛者側が一方的に定めたコンディションはジュリーから認められず、レースを行なうか否かの判断は、レース委員長のハロルド・ベネットにすべて委ねられることになった。

 第1レースのレースコースは、往復40マイルの上下一周のコースで行なわれる。一辺20マイルもの広大なレースエリア、45ノットものスピードでマニューバリングする2隻のモンスターヨット……

 第32回アメリカスカップで見事なレース運営を見せたベテランのコース・マーシャルも、「正直なところ、明日一体どんなことが起きるのか、イメージできないで困っている」と言う。スタートから風上マークまで20マイルという距離は、例えば相模湾の東西方向の距離にほぼ匹敵する。

 〈アリンギ〉のコーチを務めるエド・ベアードは、「スタート前にもしサークリングが始まるとしたら、恐らくそれはスタートラインから1マイルか、それ以上離れた場所で起こるだろう」と予想している。

 リーチングで40ノットで走る2隻が、1マイルの距離を走るのに要するには僅か1分30秒。通常のマッチレースのタイミングでサークリングを解いてスタートラインにアプローチを開始するとすれば、必然的にラインから1マイルは離れていなければならなくなるのだ。

 レースは延期

 さて、今現地時間16時。第1レースの結果はいかに!

残念、本日のレースは延期されました。風向が定まらない、との理由だ。

メディアボートは上マークで待機していたが、8ノットから10ノットの、南西のいい風が吹いていた。ところがそこから20マイル離れた沖合いでは、風向が不安定で、風速も弱かったらしい。

 再び、この距離感を相模湾になぞらえてみると、上マークがある初島ではすごくいい風が吹いているのに、スタートラインがある葉山沖の風が弱く、スタートできなかった、ということになる。

20マイルも離れるとVHFも届かず、レース・コミッティーはこれからも大変な苦労をすることになるのだろう。

 因みに、メディアボートは上マークに待機していたが、防衛艇と挑戦艇のどちらの姿もまったく見ることができなかった。よく考えてみれば、いくらマストの高さが60メートルあるヨットだとは言え、葉山にいるそれを初島から見える訳ないですよね。

 興味深い話をひとつ。

本日のレース延期が決まった後、メディアボートに映されている2隻の航跡を示すバーチャル・アイのデータを見ていると、2隻がしばらく走り合わせをしていた。どれほど本気モードの走り合わせかは疑わしいが、挑戦艇の〈USA〉が15ノット強のスピードだったのに対し、防衛艇の〈アリンギ5〉改め〈SUI〉のスピードは常にそれより1ノット近く下回っていた。ま、ただの話題に過ぎませんが……

メディアボートの1隻でレース解説を担当するのは、オリンピック金メダル3つのヨハン・シューマン(photo by Kazu Nishimura)

BMWオラクルレーシングのコンパウンドでは、メディアやスポンサー・ゲストに優雅な朝食が振舞われていた。早朝なのに、シャンパン、ワイン、ビールも並べられていました(photo by Kazu Nishimura)

アメリカズカップ・スペシャル・レポート2

2010年2月8日 月曜日

2月7日午後1時過ぎ、スタートのエントリーサイドを決めるコイン・トスが行なわれた。防衛側のソシエテ・ノティーク・ド・ジュネーブ(スイス。以下SNG)はコイン・トスに負け、挑戦者側のゴールデンゲイト・ヨットクラブ(米。以下GGYC)にエントリーサイドの決定権を奪われてしまった。挑戦者CGYCは、第1レース、スターボードのエントリーを選択した。

さて、8日のレースが始まるまでに、今回の第33回アメリカズカップの情報を整理しておこう。まずは『贈与証書』から。『贈与証書』とはアメリカズカップ争奪マッチの基本憲章とも言えるもので、この規定に従ってレースは行われる。(レポート/西村一広)

22年ぶりの贈与証書マッチ 

複数のヨットクラブがアメリカズカップ挑戦に名乗りを上げ、その中で勝ち残ったヨットクラブが、カップを保持しているヨットクラブに挑戦する。これが一般によく知られている近代アメリカズカップの形態だ。

 しかし、実はこれは、アメリカズカップマッチの方法を規定している規則『贈与証書』による、本来のアメリカズカップは異なる。

 条件を満たすヨットクラブが、挑戦を決意して、挑戦艇の主要目を書き込んだ挑戦状をアメリカズカップを保持するヨットクラブに送りつける。挑戦状を受け取った防衛ヨットクラブはその挑戦を受けて立たたねばならず、レースの場所を指定した上で、10カ月以内にレースを行なうべし。このように『贈与証書』は規定している。

 2月8日に開幕する第33回アメリカズカップは、『贈与証書』で認められた挑戦者GCYCがSNGに挑む。この、本来の形態で開催されるアメリカズカップは、1988年以来、22年ぶりのことだ。

 次に、今回のレース方法について説明しよう。 (さらに…)

アメリカズカップ・スペシャル・レポート1

2010年2月7日 日曜日

アメリカズカップがスペイン・バレンシアでいよいよスタートする。JSAFメンバーの西村一広さんが、7日バレンシアに入りし、早速、レース直前の現地の様子を送ってくれた。ブログ版J-SAILINGのグランドオープンを飾るアメリカズカップ・スペシャル・レポート、今後、レースが行われるごとにお送りする予定。ご期待ください!

2月6日夜(スペイン現地時間)

海洋カメラマンの矢部洋一氏とともに、成田からパリ経由でバレンシア入り。夜も更けているが、東京に比べるとずいぶん暖かい。

2月7日朝

アリンギのコンパウンドの隣の建物の中に設営されたメディアセンターに行き、メディア登録と、明日予定されている第33回アメリカズカップ第1レース観戦のために、メディアボート乗艇を予約する。

アリンギのコンパウンドでは、防衛艇〈アリンギ5〉のマストを立て、セールをセットして、出艇の準備が進められている。ファーリングしたマストヘッドジェネカーを揚げるために、船尾に搭載されているエンジンがうなりを上げている。

かたや、BMWオラクルレーシングのコンパウンドに挑戦艇〈USA〉の姿はない。〈USA〉はバレンシアの商業港のほうに仮設で設営されたコンパウンドに係留されており、朝早くドックアウトしてセーリングを始めているという。

今回の、第33回アメリカズカップが、ここ最近一般的だったアメリカズカップのフォーマットと異なり、アメリカズカップ争奪マッチの基本憲章とも言える『贈与証書』に従って行なわれることになった経緯は、月刊『KAZI』誌に数度にわけてレポートしたので、ここでは詳しい説明は割愛させていただく。

かいつまんで説明すると、第33回アメリカズカップは、贈与証書に定められている通り、先に2勝したチームが、アメリカズカップを勝ち取ることになる。レースコースは、これも贈与証書の定めに従って設置される。すなわち、第1レースは一辺20海里の、上下コース。第2レースは、一辺13海里の正三角形のコースで、最初のレグは風上に向かう。もし、第3レースが必要な場合は、第1レースと同様の、全40海里のコース。

本日の午後1時から、スタートのエントリーサイドを決めるコイン・トスが行なわれることになっている。クローズホールドで25ノット、リーチングのレグでは50ノットにも達する2隻の巨大ハイテク・マルチハル艇によるアメリカズカップが、いよいよ現実のものとして実感できるようになってきた。

レポート/西村一広
東京商船大学(現東京海洋大学)出身。プロセーラー、ヨッティングジャーナリスト。コンパスコース社代表として、レース参加、カスタム艇建造コンサルタント、セーリングコーチなど、様々な分野で活躍する。2006年には110ftトライマラン〈ジェロニモ〉のクルーとして太平洋横断世界最短スピード記録を樹立。2007年はハワイの伝統セーリングカヌー〈ホクレア〉の日本国内航海のパイロットも務めた。2月上旬にハワイで〈ホクレア〉のトレーニングに参加したの後、いったん帰国して、すぐにスペイン・バレンシアへ向かった。(レポート/西村一広 東京商船大学(現東京海洋大学)出身。プロセーラー、ヨッティングジャーナリスト。コンパスコース社代表として、レース参加、カスタム艇建造コンサルタント、セーリングコーチなど、様々な分野で活躍する。2006年には110ftトライマラン〈ジェロニモ〉のクルーとして太平洋横断世界最短スピード記録を樹立。2007年はハワイの伝統セーリングカヌー〈ホクレア〉の日本国内航海のパイロットも務めた。2月上旬にハワイで〈ホクレア〉のトレーニングに参加したの後、いったん帰国して、すぐにスペイン・バレンシアへ向かった。( http://www.compass-course.com

第1レースを明日に控え、出艇の準備をする第33回アメリカズカップ防衛艇〈アリンギ5〉。photo by Kazu Nishimura